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症候群

症候群,燃え尽き,クッシング

 

 

症候群

 

 

西鉄バスジャック事件が起き、その後、根岸線で乗客をハンマーで殺そうとする事件も起きた。 例えば、「野田秀樹症候群」という自著があったり、「軽井沢シンドローム」や「クライシスシンドローム」「ドラマチック症候群」「ユーモアけじま症候群」という漫画があったり、「泡沫シンドローム」という歌があったり、「エイリアンシンドローム」というロムカセットがあったり、「美人妻アブノーマルシンドローム」とか「セカンド・バージン症候群」とか「セーラー服欲情症候群」というAVがあるらしいが、省いた。例えば「オバタリアン」というだけでは悪口になるが、「オバタリアン・シンドローム」というといっぱしの評論家になったような気分になる。

 

犯罪精神医学者の影山任佐(じんすけ)が名付けた「ヒステリー性障害の一般化先行の法則」というものがあって、非常に簡単にいうと「多重人格」というものが(実際には多く報告されていないのに)マスコミなどで騒がれるようになると、自分もそうだという患者が出てくるというものである。

 

安部公房が「枯れ尾花の時代」というエッセイで指摘しているように「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということがある。「インターネット・シンドローム」(ネットでお金儲けができると信じるバブル的発想)、「メディア依存・シンドローム」(ケータイやネットにしがみつかないと生きていけない)、「二宮金次郎症候群」(ケータイをもって歩く)、「人前キス・シンドローム」(二人の愛情表現よりも社会に認めてほしいという願望が見られる→「視線平気症候群」)、「神の国シンドローム」(失言が止まらない)、「ACシンドローム」(何でも“アダルト・チルドレン”で説明する)「父性シンドローム」(“父性”の欠如で全て説明する)とか、ついでに「勝手にシンドローム」という症状と歌でも作ろうかと思う。

 

「何でも症候群」という、一つの症候群が見られる。恐らく、「〜の方」とか「〜的には」などといって誤魔化すコミュニケーションが得意な日本人に向いていたのである。

 

 ただ、冒頭に出てくる「愛情遮断症候群」に関して思い出がある。「知識断片丸暗記得点期待型受験生症候群」などというのを考えた人もいたが、除いた。批評して芸術家を「天才」だといったら、それで何も説明していないのと同じだ。 

 

もう一つ、ロラン・バルトは「記号学と医学」(『記号学の冒険』みすず書房)の中で“semiologie”という語はソシュールが使い始めたものだが、リトレなどの辞典には“semiologie”を「徴候学」として認めていて、病気の徴候(signe)を扱う医学の一部門だということを指摘している。

 

まして、医療行為を支援するためのものではありません。 最近では自ら「ボーダーラインです」と診療に来る患者も多いという。 僕もいっぱい考えることができる。自分を理性の側に置き、他者を軽々しく狂気の側に置いてはいけない。

 

少しは世相を考えることもできるかと思ったからだ。最近、何でも「症候群」とか「シンドローム」と名付けたがる傾向がある。こうした用語は元の意味を失って「隠喩」として使われることも多く、言葉の上で差別があってはならないと思う。

 

アルシーフとはエノンセ(言表)、ディスクール(言説)の総体というよりは、それらを成立させる規則のシステムであり、匿名性、自律性、示差的分散の特質を示すとした。 また、フーコーが『狂気の歴史』(みすず書房)の序言の冒頭でパスカルの言葉を引用しているが、狂気と非狂気はもともと分割可能な二つの異なった人間表現ではないということだ。社会的な「症候群」の「ラベリング」(「ラベリング理論」は統一した理論というよりさまざまな概念の総称)をして、本人を排除したり、親と親の育て方ばかり責めることは間違いである。

 

病名はあくまでその子を理解するのに便宜的に使うものであって、その子を規定するものではないのだから、病名だけでその子の本質をみないと困る。 事件の背景を解くとして飛び交ったキーワードを整理してみたかった。

 

 だから、個人的な感想も控えた。治療をすすめる前に、危険な病というイメージだけが先行するのだ。最近とみに流行しているのは病名をつけて、隔離し、こんな育て方をした親が悪い、と責めるパターンである。「○×シンドローム」という言葉ができると人は世界をそんな風にしか見なくなる。

 

スーザン・ソンタグが『隠喩としての病』(みすず書房)やその後の『エイズとその隠喩』(みすず書房)で説くように様々な病名が隠喩として社会現象に使われている。知人のピアニストが故郷を離れ、夫ともコミュニケーションのない生活を送っていて、娘が育たなかったことがある。これに「コルサコフ症候群」というのが出てきて、「症候」だけでなく「群」というのが目新しかった。その後、故郷に帰り、安定した生活を送ると急に成長が始まった。

 


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