笠松 競馬

笠松 競馬

笠松競馬場

 

 

名古屋競馬と交互に開催され名古屋競馬開催時は場外発売を行う。 発売締切前に流れる曲はフランク・ミルズの『愛のオルゴール(Music Box Dancer)』である。なお、シアター恵那でも発売をする。

 

楽観視はできないものの2007年度の開催も同年度の予算が作成されることが決まったため開催は継続されるものと思われる。この事もあり、競馬場運営の早急な安定は騎手の確保やファンの維持にとって早急に解決すべき課題として様々な競馬マスコミからも指摘を受けるところとなっている。

 

全国でも珍しい滞在型交流を実施している。しかし、県議会に廃止案が出され大幅な賞金カットが実施されるなどした事もあり、競馬場の先行きや自身の生活に現在も不安を抱いたままの厩舎関係者は非常に多い。競馬の主催者は岐阜県地方競馬組合(岐阜県、笠松町、岐南町で構成される一部事務組合)。

 

予想紙は『競馬エース』と『競馬東海』の2紙で価格はいずれも500円である(以前は穴予想で有名だった『ケイシン』もあった)。

 

コースは一周1100メートルの右回り。地方競馬から中央競馬への移籍第1号騎手である安藤勝己騎手が在籍していた競馬場として知られ、また昭和から平成にかけては「怪物」フェートノーザン、「名馬」オグリキャップや「女傑」マックスフリート、その後もオグリローマン・ライデンリーダー・レジェンドハンターなどを輩出しており、中央地方の枠を超えて注目を集める事が多い競馬場の一つである。 実況は弘報館の畑野謙二、河村憲広が中心となって行っている。

 

基本として月曜日は金沢競馬場のレースを笠松競馬場・名古屋競馬場にて、火・水・木曜日は笠松競馬場・名古屋競馬場のレースを金沢競馬場にてそれぞれ場外発売する。しかし、1990年代後半から単年度赤字が続いていたことや売り上げ好転の見通しも暗いことなどから、2004年に将来的な廃止も含めた検討が行なわれるなど中長期的な見通しが不透明な状態になっている。

 

厩舎は離れた所にあり調教の際は馬を延々と歩かせて競馬場まで移動させる。冬季期間中、金沢競馬場所属の競走馬が所属変更することなく笠松競馬場・名古屋競馬場の両方の馬房に滞在してレースに出走する。

 

笠松競馬は上述の通り数々の名騎手や名馬を輩出し、全国地方競馬でも確かな存在感を持つ競馬場である。実施当日には笠松・名古屋競馬のレース終了後に大井競馬場や川崎競馬場などのレースを発売する。

 

木曽川のほとりに位置する。最寄駅は名鉄名古屋本線の笠松駅。2004年に「名馬・名手の里 ドリームスタジアム」の愛称がつけられ、各種PRに用いられている。 オグリキャップの子の活躍を描いたテレビドラマ『オグリの子』(ドラマ愛の詩、1998年放送)が同競馬場とその周辺で撮影された。

 

1931年(昭和6年)、恵那郡中津町(現・中津川市)に存在した中津競馬場を笠松町に移転したのが前身である。笠松競馬場(かさまつけいばじょう)は岐阜県羽島郡笠松町(一部施設は岐南町にまたがる)にある地方競馬のための競馬場である。

 

最寄りの駅は東笠松駅であり競馬開催日には優等列車が停車することもあったが、2005年1月29日をもって廃止になった。 2007年6月より、他地区のナイター競走で行われるダートグレード競走の日を中心にリレーナイターを実施。騎手については安藤勝己以後も川原正一・柴山雄一・安藤光彰と人材の流出が止まらず続いている。 2007年4月より、「TRIPLE DREAMS」として今までの笠松競馬場・名古屋競馬場に金沢競馬場も加えた相互発売体制になった。

 

戦前、岐阜県には各務原競馬場、養老競馬場が存在していたが、1938年(昭和13年)に笠松競馬場に統合されている。馬だけでなく調教師などの関係者も滞在をする。 。この為に土地施設賃貸料が発生しており、赤字が続くようになった笠松競馬場の大きな足枷となった。

 

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