東京 競馬場

東京 競馬場

東京競馬場

 

 

元々はここも行政代執行の対象となったが、井田氏の子孫が日本刀をふるって抗議したため、史跡として保存された。東京競馬開催時は南武線の川崎方面行きの電車が増発される。料金に入場料は含まれない。

 

東京競馬開催時は競馬場線の増発と京王線と接続する東府中駅に下りの準特急が臨時停車するほか、府中競馬正門前駅から新宿駅方面に直通する急行電車が運行される。フジビュースタンド同様、全館禁煙(喫煙は専用の部屋を利用)。なお目黒記念については薄暮競走相当の時間帯(17時発走)で施行するため、競走数は通常同様12となる。その後馬場改修工事も終わり、2003年(平成15年)4月26日にリニューアルオープンした。

 

中でも目玉として4月22日最終競走終了後に、東京優駿と優駿牝馬に優勝した引退騎手の岡部幸雄、加藤和宏、河内洋、中野栄治、根本康広、本田優、松永幹夫、的場均、安田隆行によるエキシビションレース「ジョッキーマスターズ」が行われた(詳細はジョッキーマスターズの項参照のこと)。

 

また、フリーウェイステークスという競走もある。なお、2005年に限り秋の天皇賞で「エンペラーズカップ100年記念」として戦後初の天覧競馬が行われたことから、この日についても全11競走に制限して開催された(2004年の中央競馬50周年記念の時にも天覧競馬が企画され、同様の処置が取られる予定だったが、直前に起こった新潟県中越地震の被災者に配慮して中止となったため通常と同じ12競走で開催された)。

 

天気が良ければ富士山が見えることや、富士山が日本一を連想させること、富士山が世界的にも有名なことからこの名が付いた。ゆえに、東京競馬場にのみ相性がいい馬も多く、トニービン産駒などがその典型とされている(トニービン産駒はコーナーワークが下手で、加速が遅いが長くいい脚を使えるといわれている)。

 

2008年2月3日・2月10日と2週連続で日曜日の開催が降雪の影響で中止され、それぞれ2月4日・2月11日に代替開催された。特に、毎日王冠は数多くの実力馬が勝ってきていることでも知られている。

 

2005年10月22日、同競馬場の第12競走(最終競走)において、日本の公営競技の投票券史上最高配当記録となった1846万9120円(三連勝単式)が飛び出した。 観戦の妨げとなるにもかかわらずこの木が切られずにいるのは、この付近の木を切った二人の人夫が二人ともその後急死したため、墓のたたりと恐れられ残った一本を切ることを引き受ける人がいなくなったという説がある(墓地ごと移転すれば良いのにと言った人もまもなく病死したとも言われている)。

 

施設内には競馬博物館もあり、競馬が開催されていない日でも博物館は開いている。第3コーナー内側の俗に「大欅(ケヤキ)」と呼ばれるところの下には、この地域の地名「是政」の由来となった井田摂津守是政の墓所がある。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会である。

 

2002年(平成14年)11月から段階的に供用され、2007年(平成19年)4月に完成した。1階から4階までが一般席、5階・6階が指定席、7階が馬主席、8階・9階が業務エリアとなっている。 。なお、「左はビール工場」とあるのは競馬場から高速道路を挟んで存在するサントリー武蔵野ビール工場を指すといわれている。

 

所在地は東京都府中市日吉町1-1であり、この地名にちなんだ競走「日吉特別」も存在するが、横浜市港北区の日吉地区とは何ら関係がない。

 

コースのゴール手前300m付近にあるスタンドで、東京競馬場開設60周年を記念して1993年9月に完成したスタンドである。最寄駅は京王競馬場線・府中競馬正門前駅で専用歩道が用意されている。

 

東京競馬場ではエプソム競馬場と盛岡競馬場に姉妹提携を結んでおり、東京競馬場では交換競走としてエプソムカップ (GIII)、オーロカップ(オープン特別)が施行される。1階の西門寄りの部分(101番投票所)は岩手県競馬組合(盛岡競馬場・水沢競馬場)の場外勝馬投票券発売所となっている。JR南武線・府中本町駅の臨時改札口から専用歩道橋で徒歩5分。 俗に「大欅(ケヤキ)」と呼ばれるが実際に植えられているのは欅ではなく榎(エノキ)である。

 

これは2008年6月5日に競輪で7969万8600円の配当が飛び出す(平塚競輪場のチャリロト)まで日本の史上最高配当記録であった。東京競馬場は、1968年(昭和43年)にスタンド改築を行い、その後、スタンドの増築を繰り返してきたが、老朽化してきていた。

 

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