中京 競馬場

中京 競馬場

中京競馬場

 

 

耐震化及び省エネを重視した環境に優しい施設にする。なお名古屋競馬場を運営する愛知県競馬組合とは、別法人である。 東海地震に関する注意情報が発表された場合には開催を中止し、勝馬投票券の発売と払戻を停止することになっている(ウインズ名古屋と石和も同様の措置が採られる)。

 

その概要は以下のとおりである。なお芝の1,800m・2,500mと、ダートの1,700m・2,300mは廃止となる。 「東海ステークス」は、中央競馬で施行される唯一のダートGII競走である。なお、歩道・車道(片側1車線)は名古屋競馬株式会社の私道である。かつては地方競馬で唯一、芝コースを使用してレースが行われていた(現在は盛岡競馬場でのみ行われている)。

 

その名残で、以前は2月中旬に中京競馬の開催が行われており、きさらぎ賞がその開催の目玉レースとして実施されていた。 「中京記念」はトヨタ自動車が冠スポンサーとして施行している。ツインハットは6階建て、従来のスタンドは5階建てで、ツインハットの6階は馬主・来賓席とS指定席(120席)、4階・5階はA指定席(304、500席)、従来スタンドの4階がB指定席(336席)とC指定席(370席)、5階がC指定席(350席)となっている。

 

ちなみに、この小林は国営中京競馬の勝利騎手第1号でもある。 中京競馬場はコース特性から逃げ馬に有利とされるが、短距離GI級の高松宮記念を逃げ切って勝利したのはショウナンカンプのみである(2007年現在)。

 

ここに厩舎を構えた調教師の中でも星川泉士は1958年第18回のタイセイホープ、1959年第19回のウイルデイールで皐月賞連覇をなし遂げた事で知られる。これは、中京の「中」だと中山の「中」、「京」だと京都(及び東京)の「京」と重複するため、中京競馬場に近い名古屋の「名」をとったもの。

 

かつては1コーナー付近にポケットがあり芝1400m, 3000mの設定もあったが、1993年のスタンド増築の際に廃止されている(1991年の阪神大賞典は3000mで行われている)。

 

ビュッフェ・パノラマステーションに名鉄7000系車輌が使われている。一周距離は芝・ダートとも福島競馬場と並び中央競馬の競馬場では最も短いが、ゴールまでの直線は中山競馬場よりわずかに長い。これは中央競馬の重賞では唯一、マスコミ(テレビ・ラジオ・新聞社・通信社)・鉄道会社以外の企業が冠となっている競走である。

 

本馬場は芝コース・ダートコースともに大規模な改修を行い、あわせて芝コースの距離設定も大幅に見直し1,400m・1,600m・2,200m・3,000mを新設、ダートコースは直線を延長し(関西地区最長になる予定)、1,200m・1,400m・1,800m・2,500mの距離設定が可能となる。かつては地方競馬(愛知県競馬組合主催)も開催していたが2002年以降休止しており、現在は場外発売所としてのみ使用している。

 

競走馬は一般的に左回りの方がいいタイムが出ると言われていることと、平坦なコース特性もあって、速いタイムが出る条件は揃っているが、意外に速いタイムが出るようになったのはここ最近である。

 

中京開催を行っていた頃は、地方競馬招待を勝ったリュウアラナス、オールカマーを勝ったジュサブロー、テレビ愛知オープンを勝ったトミシノポルンガなど、中央の芝でも活躍した馬が多数いた。独自のファンファーレを使用し、なおかつそれが生演奏されるレースは、条件戦特別競走では中央競馬で唯一。

 

現在、S・A指定席については事前に整理券を配布して発売を行っている。砂コースは現在のダートコースとはやや異なるもので、当時の重賞競走の記録等でも「砂」と表記されている。

 

これは近年芝コースの路盤が固くなり、高速馬場になってきたためとされる。 障害競走が施行される競馬場では唯一、障害の重賞・特別競走が施行されない。1989年には芝2000mのコースで名古屋市制100周年記念(中央・地方全国交流競走)を行ったこともある。芝2000mでは、1998年にサイレンススズカがコースレコードを10年ぶりに記録し、その後馬場の高速化が顕著になってからはタップダンスシチーが2004年に更新。

 

翌1953年8月に競馬場が完成、農林省(現・農林水産省)と施設貸借契約を結び、第1回国営中京競馬を開催することになった。2006年より12月に開催されているオープン特別「尾張ステークス」は、尾張を「終わり」になぞらえて、中京競馬場の一年を締め括る最終競走として施行されている。

 

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